旧約聖書「出エジプト記」を読む

朝日カルチャーセンターと東工大が提携して行っている講座。講師は橋爪大三郎社会学)。会社は有給休暇をとって、前回の「創世記」に引きつづき、熱心に参加しました。

旧約聖書の基礎知識
・旧約の「約」は約束(神との契約)の意。古い翻訳ではありません。
・「旧約聖書」とはキリスト教徒による呼称で、ユダヤ教徒はTANAKH(タナハ)と呼ぶ。「タナカ」ではなく「タナハ」。
・古代ヘブライ語で書かれている。
モーセ五書は紀元前6世紀頃に成立。
・もっとも古い本は「マソラ本文」。レニングラードに保存されている10世紀の写本。
 
旧約聖書」を読む視点もまたさまざまにあると思う。現代に生きる私たちが「なんとなく」よりどころとして信奉する考え方や思いこみの源泉がいたるところに埋まっており、理由はよく分かんないけど、みんなそうやってるから波風立てないように「なんとなく」従っておくよ、がほとんど生理的に不快な私には、そこが非常におもしろい。ユダヤ教徒にしてみれば、旧約聖書の言葉は神の言葉なのだから信じるのみで、生活においては旧約聖書の教えに則って振る舞うすなわち宗教生活であり、それが自らの思考を律しているなどとは捉えないのだろう。

十戒」は英語で「Ten Commandments」と言う。この訳が不適切という話があった。「戒」とは仏教でお釈迦様が修行僧に向けて、成仏したければこうした方がよいですよ、というオススメ方法を説いたものであり、飽くまでrecommendation。「戒」は破ってもよいのだ。一方、Commandmentsは「命令」の意である。軍隊の指揮系統を司るような伝達の一種で、破ることは許されない。神から人間への「命令」であるから、「十命」の方がよいのではないか、とのこと。

そのひとつに、「隣人に対して偽証してはならない」(仏教では妄語戒)とある。これが現代の裁判を可能にしている。法廷で証言する者は嘘を付かないことを神に誓う。よく映画でもそういうシーンを見るけれど、そうすると、日本の裁判はどうなってるのだろう。

嘘を付いてはならないという倫理が、「真実」という概念を生み、「真実」を探求する「科学」(論文では「本当のこと」を書く)が誕生したのだという。

順番でいくと、次は「レビ記」なのだが、「旧約聖書レビ記」を読む」ではとてもお客さんが集まりそうにないので、次回のテーマは「新約聖書」だそうです。