天皇と東大

天皇と東大 大日本帝国の生と死 上

天皇と東大 大日本帝国の生と死 上

学歴社会がまやかしであることが公然と語られるようになると、東京大学(以下、東大)から威光が消えた。学歴社会を賞揚することは、今では、恋愛を否定することと肩を並べて、ありえない価値観となった。東大(とりわけ法学部)はもともと、国家の中核を担う人材を育成するための特別な機関であった。小学生の頃から私は「トウダイに入れよ」と祖父から会うたびに言われていたので、東大には世間様がそれを建前として持ちあげるのとはまったく異なった思い入れがある。東大はスゴイところであってほしいのだ。出身大学を尋ねられて「一応東大です・・・」などと小声で縮こまるへなちょこを見ると虫酸が走る。私自身は残念ながら合格できなかったが、東大の入学試験の難易度はたしかに年々やさしくなっていったように思う。数学であれば、ひらめかないでも解けるフツウの問題が増えていった。大学の威光は入試問題の質からも放射されるから、この点は看過できない。近年、大学が実学(社会に出て役に立つ事柄)への志向を強めているようだが、これに乗じているのだとすれば、まさに「東大よ、おまえもか!」である。社会をよくする方針を提示できる人間には、今の社会が悪く見えることが必須であり、したがって、今の社会の価値に合致した「実学」ではダメなのだ。東大を役に立たないことを学ぶ神聖な場所にせよ。