旧約聖書『創世記』を読む

The New Oxford Annotated Bible With the Apocrypha/Deuterocanonical Books: New Revised Standard Version

The New Oxford Annotated Bible With the Apocrypha/Deuterocanonical Books: New Revised Standard Version

 
朝日カルチャーセンターと東工大の提携講座に出席した。講師は社会学者の橋爪大三郎先生。

旧約聖書
今回の講座のような機会がなかったなら、おそらく死ぬまで開くことのなかったであろう書物だ。宗教に関心がないのではない。一応、橋爪先生の著書は出てるものをほとんどすべて買って読んできてるわけで、人間の行動様式や考え方を知るために宗教の理解が欠かせないことは学んでいる。『世界が分かる宗教社会学入門』なんかを紐解きますと、ユダヤ教はこういう宗教、キリスト教はこういう宗教、イスラム教はこういう宗教、仏教はこういう宗教といった具合に章立てて分かりやすく解説してあって、ふむふむ、聖書やコーランを丹念に読むとここにまとまっていることが結論されるのだなとわかった気になってしまうのがいけません。

橋爪先生も旧約聖書(の創世記)だけをテーマに話すのは初めてのことで、少し緊張していると開始前におっしゃっておられた(それとは別の緊張する理由もあったらしいのだけど)。

さて、旧約聖書を「読む」という場合、それはどういう読み方なのか。小説を読むようにおはなしを楽しむことなのか。あるいは、おはなしが暗に諭していることを汲んで自戒したりすることなのか(宗教の聖典を読むというとなにかそういうイメージがあった)。まずそこのところ、つまり聖書の読み方が私なぞは分かりませんでした。

そこで「創世記」本文の冒頭付近。
「・・・神の霊が水の面を動いていた」

へえ、神には霊があるんだ。
と、読んではいけないという。
「創世記」はヘブライ語で記述されており、「霊」はその翻訳。ヘブライ語が分からないので、ひとまず英語の旧約聖書に当たってみると「a wind」すなわち「風」とある。この意味が原意に近いそうで、「神から吹いた風が水の面を動いていた」となれば、神様の亡霊がふわふわ〜っと水面を漂うオカルトチックな光景ではぜんぜんなくなってしまう。ユダヤ教は霊魂の存在を認めないことが、こうして旧約聖書から「読める」のです。なぜユダヤ教は霊を認めないかといえば、ユダヤ教にはエジプトへの恨みからくるアンチテーゼが深く背景にあって、エジプトでは死後の世界を考えるので、ユダヤ教では霊を認めない、死んだらそれっきりということになっている。

この話を含め、配られたレジュメには全部で11のポイントが挙げられていた。

1)神の息吹きは、霊でない。
2)人間の創造物語は、二回ある。
3)スチュワードシップ(管理責任)
4)楽園追放
5)ノアの契約
6)寄留民(ゲーリーム)
7)アブラハム契約
8)アブラハム、神と論争する
9)イサクの犠牲
10)祭壇を築く、石の柱を立てる、など
11)ヨセフの、神の計画

ポイントが11個なので、どれが大事でどれがそうでもないということはないけど、5)の「契約」の概念は特に重要です。物語の流れをつかむのは不得手なのだが、こういうことだろうか。

■神がアダム(男)とイブ(女)を作る。

■働く必要もないし、死ぬこともない楽園にふたりは暮らしていた。

■知恵の実を食べる罪をふたりが犯す。

■怒った神は彼らを楽園から追放。労働という苦役(⇔勤勉の思想)、罪ゆえの死(⇔復活の思想)が人間に与えられる。

■地上に悪がはびこる。

■神は後悔し、洪水で人間を滅ぼす決意。

■義人ノア(いい人)とその一族だけは箱舟で救うことも決める。

■このとき、神はノアと「契約」を結ぶ。
 
「創世記」にはこうある。

わたしは、よいか、地上に大洪水をもたらす。それによって、生命の霊をもつ肉なるものすべてを天の下から滅ぼすためである。・・・しかし、あなたとは契約を立てよう。・・・あなたとあなたの家族全員は箱舟に入りなさい。わたしはあなたがこの世代にあって、なお、わが前に義しい、と認めたからである。(6:17-7:1)

私はあなたがた(注:動物を含む)とわが契約を立てよう。すべて肉なるものは、もはや、大洪水の水によって、絶たれることはないし、大洪水が地を破滅させることもないであろう。・・・わたしは雲の中に虹を置いた。それがわたしと地との間の契約のしるしである。(9:11-13)

契約は、神が人間へ下す命令で人間はそれを拒否することはできないが、それは神をも拘束する。なので、神が契約に違反しそうなときは抗議してよい。こういう契約概念の基盤に従うと、例えば、アメリカ(神)と日本(人間)のあいだで結ばれた日米安保条約において、アメリカが違反しそうなとき日本がそれに抗議することはぜんぜん構わないのだという話をされてました。
あと、ユダヤ教にかぎらず一神教の世界では、法律はイコール宗教法なので、法律を守ることと信仰にしたがうことがぴったり重なっている。だから知識人が同時にイスラム法学者であったりすることが当たり前。ところが、たとえば、日本だと法学者と神学者がいると、それらはまったく別物で、話も全然合わない。法律は人間が作った世俗のものという認識が働いているのでしょう。

といった感じに全体としてたいへん濃い内容で、過去の一時代ないし今日の世界を支配するわれわれの思考の形式が旧約聖書の「創世記」だけでも出揃っていることが分かる。10月には「出エジプト記」を読むとのこと。