ダイアナ・ウィン・ジョーンズのインタビュー

yourou2006-03-29

九年目の魔法 (創元推理文庫)

九年目の魔法 (創元推理文庫)

■『九年目の魔法』のときは、ラブ・ストーリーを書くことを意識的に考えたのですか?それとも、自然にそうなったのですか?

DWJ: ラブ・ストーリーを書きたかったのですが、ふつうのとは一風違ったものにしたかった。あと、それを今この世界で起こるふうにしたかったんです。おそらくこのことがタム・リンをはっきりと前面に引っぱりだすことになったのだと思います。

■科学そして科学者が、私たちがなぜたしかにここにいるということをまだ説明できないとするなら、彼らは当然のこととして魔法を信じるべきだと思いますか?

DWJ: はい。科学者たちが物理学に関する多くの発見をすればするほど、物理学はますます魔法のように不思議なものになっていくように思われます。今や彼らは、スイッチをつけたいとき勝手にオンになるコンピューターについて語ります。明らかに背後には完全に論理的な物理学があるわけですが、それが魔法でないなら、何なのか、私には率直にいって分かりません。

■『炎の中で』と『ハムロックと黒いマリア』では主な女性リーダーたちは社会的な権威を武器として用います。これは意識的だったのですか?

DWJ: ええ、特に『黒いマリア』ではそうですね。まさに女性リーダーについての物語ですから。マリアおばさんが実際の人物だと言うのは恥ずかしいことです。ああいう人と3週間ともに過ごすのはすごくきつかった。そこで私は、"ああもう!このざまを読者に見せつけてしまおう!"と心に決めました。いわゆる老女性の武器というやつです。おそらくあなたは『黒いマリア』にそういう女性の態度を見つけて言うのでしょうが、心の断片のこの領域が私は大嫌い。だから、そういうのをある程度さらすことは好きで、子供たちは、彼らが成長したときに"ああ、これはマリアおばさんがやったことだ。ぼくにはこれがない。ぼく自身は違ったふうに考えよう"と言うように若く設定します。

■女性の本能として、そういうものは存在しないということですか?

DWJ: たしかに本能はあります。社会的な信念のせいで、女性たちはそれを用いることを認められています。一方で男性は本能を抑圧し「これは理性に反する衝動あるいはバカげた(silly)考え方だ」と言う。そして、彼らは本能に向かい、それに完全に足をひたします。心が話しかけてくることを無視するからですね。

シェイクスピアの時代から、"silly"の意味は変化しました。人々はバカであったり、そう見られることを恐れているのでしょうか?

DWJ: バカな人やそう見られることをみんなひどく恐れています。これが人々がファンタジーをたたえることを支える柱になっていると思います。私が大学生だった頃、ファンタジーは"バカげている"といつも呼ばれていました。人々はバカであることをひどく恐れており、それは、赤鼻の日(Red Nose day:イギリスのイベント。詳しくはこちらhttp://www.uknow.or.jp/be/s_topics/report/yamawaki/08.htm)にふざけ回ることではなく、迷信やそれに類するものを信じたりすることなのです。