銭金について

銭金について (朝日文庫)

銭金について (朝日文庫)

本を一冊丸ごと、読み終えたのは、久しぶりだったりする。私小説は書き手の身に実際に起こったことを元にして編まれるが、この「元にして」がくせ者なのは、できあがった作品の全部が本当ではないからだ。そこで一部の読者は「あれはどこまで本当なのか」と尋ねる。これは愚問だと氏はいう。「文学」は、命がけの嘘、虚実皮膜のあいだに宿り、独りよがりかもしれない作文を「文学」たらしめているその根拠を突きとめることが、小説を読むことだからだ。と、ここまで書いて、私小説と文学と小説とが混同してごっちゃになっている自分に気づく。その区別を超えて、どれにも言えること、ということにしよう。ところで、私見では、虚と実のあいだの隙間には、「文学」と接して「笑い」が住んでいる。車谷長吉のくり出す「生きた言葉」がたびたび哄笑を誘わずにはおかないのは、何よりの証左と思う。