ヒストリー・オブ・バイオレンス

yourou2006-03-14

デビッド・クローネンバーグの最新作。朝の風景をとらえた冒頭の長回しには、目を奪われ、一気に映画に引き込まれた。

ショッキングなシーンがないわけではないのだが(店を商う夫婦の死体が、やがて映る)、そのせいで注目したのではなく、冒頭の映像を立ち上がらせたカメラの動きと角度であり、画面の構成や色彩であり、俳優(2名、ひとりはエド・ハリス、もうひとりは知らない)の動きや言葉の発するタイミングにいたるまでが、すべて充実しているためだ。素晴らしい映像、そのよさを伝える言葉が見つからないので、「充実」とありがちな評言を放ってみた。

雑誌『文学界』の最新号で阿部和重中原昌也が、この作品を褒めちぎっている。今日、図書館に行って、読んできた。彼らが映画に向ける視点や語り口は独特(通俗的でない)なので、意味がとりにくい場合もあるのだが、「映画でできること」の範囲を拡張したと見える作品を高く評価していると思われる。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』が傑作なのは、アメリカ映画全般が「なしてきたこと」を踏まえたうえで、その映像が、膨大な映画体験をくぐってきたふたりに新しい触感を共通(奇跡!)に与えたからだろう。
おなじく冒頭のシーンのよさに言及する阿部氏によると、あれだけ朝らしい朝は近年の映画では久しぶりとのこと。なるほどな、と思った。朝をどう撮るか。朝はいかに撮られてきたか。「映画史」には、朝の映像の系譜が、ありうるのだろう。

通俗的な、という意味で)「ふつう」に見ると、物語はこう。家族思いの善良なお父さんには、隠してきた言えない血まみれの過去があり、当時の因縁から復讐に訪れた極悪人たちが、我が子をつかんで頭に銃口を突きつけるので、もはや素敵なパパであり続けることができず、眠らせたはずの過去の自分を蘇らせる。そして彼は、黒幕を葬るべく・・・、やめよう。要は、みなさんご存知の物語なのだ。物語はプラモデルでも、映像が異色(冒頭だけでなく)。ということは映画が奇妙。以上だ。