ニート

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく

月一のペースで開かれる読書会に数ヶ月ぶりに参加して読んだ本がこれ。場所は都内某所の喫茶ルノワール。若いあいだは自分が思うとおりにやってみろ!あれこれ考え込むまえにまずやってみなきゃ!「積極」はほとんどの場合、美徳とされる。中島義道は近著『悪について』でドストエフスキーの『罪と罰』を次のように読解する。

善悪とは何かが、犯行後彼に突如ひらめいたのではない。むしろ逆である。全身が揺さぶられるほどにわかったのは、あれは善い、これは悪いと「思うこと」や「語ること」は何ものでもないこと、そうしているだけの者は、道徳的善さについて何も知らないこと、このことである。
彼はみずから老婆を殺すことによって、何が道徳的に善いか、そして何が道徳的に悪いか、気楽に言えなくなった。

働きたいのに働けないのがフリーターだとすれば、働きたくないから働かないのがニートだろう。ニートは「甘ったれ」と上の世代からは見なされ、呆れられ、「好きにすれば」と視野の外に放り出される。単なるわがままというわけだ。でも、ニートの増加がいわゆる「社会問題」のくくりを超えて、ある一定の時代的な色彩を滲ませるのは、彼らの行為がまるで主張のようであるからだ。ニートは社会参加に対し「積極的に消極的」であるように「見える」。