アッシュベイビー

アッシュベイビー

アッシュベイビー

「ほんの些細なことがきっかけで、もうこんな世界にいたくない、・・・」
「見た目で判断する世の中を、・・・」
http://subaru.shueisha.co.jp/html/person/p0311k_f.html←著者インタビュー
こういう発言を読むと「セカイ系」の人なのかなと思う。金原ひとみは「世界」と「世の中」のあいだに然したる区別を設けておりません。小説で頻繁に用いられる「世界」を「世の中」に置き換えてもなんら問題が生じません。どっちを使ったとしても、著者の書きたい領分の外には出ないと思える。「世の中の外」は、乳児やニワトリを犯したり、身体を切り裂いた裂け目から流れ落ちる血液や傷自体への変態的な愛着といった「非日常」を通じて描かれます。「非日常」があっけらかんと食卓に並ぶと人は自由を感じてスカッとします。解放され、共感できることに気づき、にやけます。でも「非日常」は「世の中」の別の顔でしかなく、時間が経つとなんでもなくなる。誰にもある「世の中(≠世界)」への憎悪は「クソ」という鋭利な罵倒語に込められて発射されます。「私がいなきゃ何も出来ないくせに。何鳥肌立てて窓を閉めろなんて言ってやがんだクソが。クソだクソ。(P58)」といったふうに。世の中はクソ。が、世界はその外に・・・価値のまなざしをすりぬけて無表情に波打っている・・・。