ベルギー象徴派展

yourou2005-04-16

谷東Bunkamuraで開催されている「ベルギー象徴派展」にこの日出かけた。芸術作品を前にすると、私は想像してしまう。それが完成するまでに流れた長大な時間を。百年かそこら昔、とある外国人が貴重な時間を割いて、白いキャンパスに向き合い、パレットの上に絵の具を調合し、むつかしい顔をして塗り込めていく。数日後、「できた!」と歓声があがり、珈琲を飲みながら遠目に自作を眺めやる。今、手元にある展覧会のカタログをめくりながら、この日めぐり逢った作品が次々と紙面に立ち現れてきて、ある特異な時間が流れ着いたかのような揺らめく感懐にひたっているわけだ。絵画に通暁していない私は、ここでスポットが当てられた「ベルギー象徴派」なる芸術潮流にまるで関知しておらず、甲冑に身を包む戦士の肖像画を描いたフェルナン・クノップフなる著名らしい画家すら初めて見知った素人である。素人は何を言っても無駄。かどうかは知らないが、著名と思しき作家はここでは避け、閲覧者の目に止まりにくいであろう作品をあえて取りあげてみたい。ポール・デュボワが丹誠をこめて彫りあげた彫刻作品、《最後の口づけ(オルフェウス伝説)》だ。展覧会にはベルギー象徴派に分類されうる10名前後の作家たちの作品が合計100点以上並んでいるが、1点しか展示されていないのは、おそらくポール・デュボワただ一人であろう。寡作だったのかあと思って、カタログの説明書きに目をやると「非常に多作」とあり、作風については一言「ロダン風なところがある」。デュボワの作家性とは、「ロダン風でないところ」と否定的に記述されるしかないほどに、彫刻史的には発見されていないということなのだろうか。そんなことを考えながら、作品を見てみると、岩に裸婦が腰掛けている。腰掛けた岩肌に男の顔が彫り込んであり、裸婦はそれを両腕で包み込むようにして右目に接吻する姿態だ。女は長い髪を結ってお団子にしている。神話か何かに登場するシーンなのだと思う。ヨーロッパの古い建物の柱や壁には、ゴテゴテとうんざりするほどしつこくこういう彫刻の装飾が施されているが、ああいうのとデュボワの作品はどう違うのだろう。分かったときは、ここでお知らせします。