祖父との対話

ここ数年は、正月に祖父がうちにやってくるのが恒例
行事となっている。
「うち」といっても人の世話になるのを嫌がる人なので、
宿泊は近所のホテルなのだが。
平泉澄の件が気になったので、夕食の時、大学時代の話を
根ほり葉ほり聞いてみると、いろいろ他の話が出てきた。
人物の名前が多くて、記憶があいまいですが、大ざっぱに
再現すると、
「生意気盛りで、自分たちは合理的な考え方をすると思っ
ていたから、大学の先生なんかが、売国奴だの、アジアを
支配下におくだのといって、バカなことを言うもんだなあ
と思ってねえ。内務省を受けに言ったときなんかも、町村
さんていう、今の町村っていう外務大臣のお父さんだけど、
その人が、君たちのやってきたところ(帝大)は米国の居
留地だなんていうんだなあ。なんだろうって思ったよ」
「え、なに、居住地?」
居留地!」
食事のあと、ホテルの部屋にもどると、祖父はおもむろに
服を脱ぎはじめた。満腹でベルトが腹を締めて苦しかった
らしい。よろめきながら、いったんステテコ一丁になり、
浴衣に着替える。
「気を使わないで、すいませんねえ。楽になりたい」
同じくしゃぶしゃぶをたらふく食して、ベッドに仰向けに
なって休憩していた私は、吹き出してしまった。
「(爆笑しつつ)楽になりたいって・・・」
「はっはっはっ。別に死にたいわけじゃないぞ」
浴衣になって動きやすくなった祖父は、急に話題を転じる。

生きかた上手

生きかた上手

「日野原さんていう人は、「愛」だっていうんだなあ」
日野原さんとは、例の90歳にしていまだに現役の医師である
日野原重明氏のこと。よく知らないが「生き方の知恵」
系の著作をいっぱい出して人気のようだ。祖父は日野原さんの
著書を愛読してるわけでもないはずなので、思い付いて口に
しただけだと思う。
そして、この次に発射されたセリフにまたしても大爆笑。
「おじいちゃんは、「愛」っていうのは、もうぜんっぜん
ないもんね」
いやあ、90年生きた人に「愛はない」とはっきり断言され
ると返す言葉がありません。「愛がない」っていうのは、
誰々に対する愛がない(ちなみに祖父の妻はだいぶまえに亡く
なってます)という意味ではなく「愛というのは分からない」
という素直な実感であろう。日野原氏はクリスチャン。
持論の背景にはいつも「愛」がある。一方、祖父の思考に愛
はない。年を重ねるうちに、やがて愛の大切さに気づくとい
うことでもない。90年生きた人間の頭の中はおもしろい。
それぞれまるで違っている。