蒔かれた種と思考の自由

yourou2004-10-22

思考は言語の外には出られない。
そんなドグマがゆき届いています。
言語より手前は、存在しないのか。
言葉をまだ掴んでいない赤ん坊の目に、世界はどう写るのか。
ときには考えますが、答えなど見つかるはずもありません。
グロタンディークの自伝が気持ちいいのは、この怪人が編んだ
自らの思考の軌跡と内実が、言語的思考ではないもっと別なな
にか、彼のいう「ハーモニー」と呼ばれるもので、宇宙を建設
しようとするからかもしれない。

>数学において私が引き出した数多くの新しい観点の中で、あとで
>振り返って、「大きなアイデア」と呼びうるものが十二あります。



1.トポロジーテンソル積と核型空間
2.「連続」および「離散」双対性(導来カテゴリー、「6つの演算」)
3.リーマン−ロッホ−グロタンディークの理論(ヨガ)(K理論、交叉の理論との関係)
4.スキーム(概型)
5.トポス
6.エタールおよびlコホモロジー
7.モチーフとモチーフ的ガロア群(グロタンディークの\otimes−カテゴリー)
8.クリスタルとクリスタル・コホモロジー、「ド・ラーム係数」、「ホッジ係数」の理論(ヨガ)・・・。
9.「トポロジー代数」:8−園(シャン)、導来手、新しいホモトピー代数に対する着想と
 してのトポスのコホモロジー的定式化
10.穏和トポロジー
11.アーベル的とは限らない代数幾何学の構想(ヨガ)、ガロア−タイヒミュラーの理論
12.正多面体とあらゆる種類の正規配位図形の「スキーム的」あるいは「数論的」観点



>ある意味では、まだ現れていなかったが、生まれようとしていた事柄の暗いふところ
>のどこかに、たしかにすでにはっきりと「存在していた」のは、このハーモニーだと
>いうこと−−このハーモニーによってはじめてそのまったき意味を持つことになった
>これらのテーマをつぎつぎと呼びさましたのは、たしかにこのハーモニーだというこ
>と、思春期を出たばかりのころ、燃えるような孤独の年月に、すでに執拗に低い声で
>私に呼びかけていたのもこのハーモニーであったように思えるのです・・・。


私個人がこれまで経験した貧しいとはいえ、多少なりとも数学的といいうる
思考をふりかえってみていえるのは、「新しい概念」を理解し、身に付け、
自在にあやつれるのに費やす手間と労力は、とりわけ凡才にとっては、あま
りに膨大だということ。
事実、みんな投げだします。つらいから。分からないから。
先へ進めば進むほど、いったいなぜ、こんな概念を導入する必要があるのか、
このようなわけのわからぬ量をなぜここで定義するのか、といった場面に、
たてつづけに遭遇するようになります。
そして、多くはここで、自身の思考の不自由に安住する「自宅待機」を選んでしまう。
「自由な発想を!」と気軽に叫べる者は、そのたいへんさが分かってない。
マジョリティが「黒!」と言ったときに、「白!」と逆をいえる度胸が「自
由」だと勘違いしている。「白黒の問題じゃないんだよ」と事の所在をずらす
操作すら、あるいは「自由」からは遠いかもしれないのだ。