フェルマーの定理、証明までの道のりを箇条書きで。

ギリシャディオファントスが著した『算術』の問題8の余白に「フェルマー予想」。17世紀のこと。
フェルマーのメモ「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。」
■1670年、フェルマーの長男クレマン・サミュエルが『P・ド・フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術』を刊行。フェルマー予想が世に出る。
■n=4の場合については、無限降下法を用いてフェルマー自身が『算術』の別の余白で証明。
■1753年8月4日、オイラーフェルマーの証明を拡張し、虚数を使って、n=3の場合を証明。
■フランスの女性数学者ソフィー・ジェルマン(1776-?)は、nがジェルマンの素数(2p+1が素数となるような素数p)のとき、x^n+y^n=z^nに解が存在する可能性はきわめて低いことを証明。
■1825年、ディリクレとルジャンドルがジェルマンの証明を鍵にして、n=5の場合を証明。
1839年、ラメがジェルマンの方法を改良してn=7の場合を証明。
■1847年3月1日、ラメが、フランス学士院の会合で、まもなくフェルマーの最終定理が証明できるところまできたと宣言。同じ会合で、コーシーがラメとおなじ方法で証明に取り組んでおり、じきに発表すると宣言。
■同年4月、コーシーとラメが学士院会報に証明の一部を発表。期待が高まる。
■同年5月24日、リューヴィルが会合でドイツの数学者エルンスト・クンマーからの書簡を読み上げ、ふたりに共通する根本的な問題、すなわち、虚数が含まれているのに証明が素因数分解の一意性に依存している(実際は一意でない)ことを指摘。証明の見込みが薄れる。
■1955年9月、日光で開かれた数学の国際シンポジウムで日本の数学者・谷山豊が、ある楕円方程式のE系列がどれかの保型形式のM系列になっていると予想。
■志村五郎がこの予想を発展させ、楕円方程式はどれもモジュラー形式と関係づけられると考えはじめる(谷山=志村予想)。
■1958年11月17日、谷山豊が自殺。
1984年の秋、ドイツの数論シンポジウムでゲルハルト・フライが谷山=志村予想を証明することはフェルマーの最終定理の証明につながると主張。
■およそ2年後、カルフォルニア大学バークレー校のケン・リベットがバリー・メーザーの助けを借りて、谷山=志村予想が成り立てば、フェルマーの定理が成り立つことを証明。
■1986年夏、ワイルズが友人の家で、リベットが谷山=志村予想とフェルマー予想のつながりを証明したことを聞き、感電したようなショックを受ける。谷村=志村予想にひとりで取りかかる決意。
■1年後、考えぬいた末、出発点として帰納法をとる方針を固める。
■1988年、楕円方程式の少数の解を使って得られるガロア群から、すべてのE系列の最初の要素がすべてのM系列の最初の要素と一致することを証明。
■1988年3月8日、都立大学の宮岡洋一が微分幾何学の観点からフェルマーの定理の解法を見出したとワシントン・ポストニューヨーク・タイムズが報じる。ワイルズに衝撃。
■およそ1ヶ月後、宮岡の論理にギャップがあることをゲルト・ファルティングスが指摘。証明が失敗。
■1990年、楕円方程式の一要素がモジュラーなら、その次の要素もモジュラーだと示す方法が見つからず、ワイルズは闇の館のなかでいちばん暗い部屋にいると感じる。
■それから1年間、岩澤理論を使った方法を試みる。少しずつ無力感を味わうようになる。
■1991年夏、岩澤理論の修正をなかばあきらめ、最新の話題を仕入れるためにいったん数学界に戻ることを決める。ボストンでかつての指導者ジョン・コーツからコリヴァギン=フラッハ法の存在を聞く。
■コリヴァギン=フラッハ法の習熟と修正に邁進。また楕円方程式をいくつかの族に分類できることに気づき、各族に適用していく。
■1993年1月、証明に取り入れた幾何学的方法にうついて、ニック・カッツに相談することを決める。谷山=志村予想を証明できそうだと告げられたカッツは仰天。
■『楕円曲線の計算』という名の院生向け講座をもうける。誰にも気づかれないようにワイルズの証明を段階的にチェックするのが目的。数週間後には受講生がカッツのみとなる。
■5月末の朝、楕円曲線の最後の族を証明するヒントをバリー・メーザーの論文に見つける。午後、お茶をしに階下に降りる。「フェルマーの最終定理をといたよ」と妻に告げる。
■1993年6月23日、ケンブリッジで行われた会議「L関数と数論」でワイルズが講演。フェルマーの定理を黒板に書き『ここで終わりにしたいと思います』。喝采
■200ページの論文を6つの章にわけ、6人のレフリーによる審査がはじまる。ワイルズとのメールによるやりとりが8月まで続く。
■8月23日、カッツからコリヴァギン=フラッハ法の機能に関するひとつの質問が届く。当初、小さな問題と見なしていたが、次第に根本的な欠陥であることが分かりはじめる。(つづく)