僕のお爺さん

祖父と母と妹と4人でいつもの新宿の寿司屋で昼食。
新宿駅南口の改札を出たところにある花屋の前で待ち合わせ。
祖父は左足がよくないので、歩いていると坂道でよろけたり
して、危なっかしい。この歳(92)で転倒して骨折すれば、
そのまま寝たきりになってしまうだろう。
けれど、杖をつくよう家族がすすめてもという耳を貸そうと
しない。足もとがおぼつかないとはいえ、背筋はのびている。
しゃべると声が大きく、とおりのよい声質であり、言葉も頭
も私などよりずっと明瞭。そして話がおもしろい。
しばしば爆笑させられてしまう。あの話術は生来の芸なのか。
過去の経験談が多いけれど、昔を懐かしんだり、今を嘆いた
りといったお年寄り的な「ときへの遠いまなざし」が祖父に
は希薄である。視線がシニカルでたえず笑いを誘う。
落ちまで準備されていたりもする。見事というほかない。
怪物といってよいと思う。会う度にとてもかなわないと感じる。

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

先日、中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』を読んだ。
権力の及ばない聖域としての「アジール」を対馬に見つけ、
それを論じた先駆けとして平泉澄という人物がこの本に登場
する。平泉澄皇国史観歴史学者であった。祖父は大学時
代、この平泉澄から講義を受けており、授業中に話口調を物
真似てみせ、怒号を浴びたとずいぶん前に語っていた。
正確にどう言ったかは忘れてしまったけれども、「ばかげた
人だった」みたいな揶揄を含む冷めた口調であったのを覚え
ている。大日本帝国時代に、皇国史の教官を授業中に茶
化す明るく自由な心構え。思想的に反発したわけではなくて、
おそらく性格だと思う。だから、やっぱり怪物なのだ。
実際、右翼だとか左翼だとか天皇がどうだという話題には、
ちっとも興味を示さない。命の先が長くないので、今さらど
うでもいいのだという。政治についても、あまり興味を示さ
ないけれど「どうせぜんぶ土建屋がらみだよ」というふうな
官僚出身らしい冷め切った言葉を一言二言残す。
本は自然科学を好み、昼間は囲碁クラブで囲碁。夜は酒。
9時就寝の4時起床。一糸乱れぬ規則に則った生活とのこと。