僕のお爺さん
祖父と母と妹と4人でいつもの新宿の寿司屋で昼食。
新宿駅南口の改札を出たところにある花屋の前で待ち合わせ。
祖父は左足がよくないので、歩いていると坂道でよろけたり
して、危なっかしい。この歳(92)で転倒して骨折すれば、
そのまま寝たきりになってしまうだろう。
けれど、杖をつくよう家族がすすめてもという耳を貸そうと
しない。足もとがおぼつかないとはいえ、背筋はのびている。
しゃべると声が大きく、とおりのよい声質であり、言葉も頭
も私などよりずっと明瞭。そして話がおもしろい。
しばしば爆笑させられてしまう。あの話術は生来の芸なのか。
過去の経験談が多いけれど、昔を懐かしんだり、今を嘆いた
りといったお年寄り的な「ときへの遠いまなざし」が祖父に
は希薄である。視線がシニカルでたえず笑いを誘う。
落ちまで準備されていたりもする。見事というほかない。
怪物といってよいと思う。会う度にとてもかなわないと感じる。
- 作者: 中沢新一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/11/17
- メディア: 新書
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権力の及ばない聖域としての「アジール」を対馬に見つけ、
それを論じた先駆けとして平泉澄という人物がこの本に登場
する。平泉澄は皇国史観の歴史学者であった。祖父は大学時
代、この平泉澄から講義を受けており、授業中に話口調を物
真似てみせ、怒号を浴びたとずいぶん前に語っていた。
正確にどう言ったかは忘れてしまったけれども、「ばかげた
人だった」みたいな揶揄を含む冷めた口調であったのを覚え
ている。大日本帝国時代に、皇国史の教官を授業中に茶
化す明るく自由な心構え。思想的に反発したわけではなくて、
おそらく性格だと思う。だから、やっぱり怪物なのだ。
実際、右翼だとか左翼だとか天皇がどうだという話題には、
ちっとも興味を示さない。命の先が長くないので、今さらど
うでもいいのだという。政治についても、あまり興味を示さ
ないけれど「どうせぜんぶ土建屋がらみだよ」というふうな
官僚出身らしい冷め切った言葉を一言二言残す。
本は自然科学を好み、昼間は囲碁クラブで囲碁。夜は酒。
9時就寝の4時起床。一糸乱れぬ規則に則った生活とのこと。