−警察は絶対− 黒沢清は語る 

yourou2004-12-12

ラングが『M』で撮ったのとおんなじ真っ黒い影を真似ようと
して、現場で黒沢氏が照明担当に「こういう感じでやりたい」
と同映画の1シーンを見せたところ、こういうくっきりとした
真っ黒の影はものすごく強い光を遠くから当てないかぎり得ら
れないもので、それにはたいへんなお金がかかる。今の設備
では到底できないと言われ、諦めざるをえなかったそうだ。
とにかく、そのときそこにあるもので、何とかしなければなら
ない。映画とはそういうものだ。そう語る黒沢清からは芸術家
肌の完璧主義者というより、現場主義のアイデアマンという印
象をうける。こういう映画、映像、画面を撮りたいなあと頭に
あったとしても、ロケ場所に出かけていくと予定外の出来事や
トラブルが必ず起こるのであり、そういったアクシデントまで
をも含めて「映画」だろうというわけだ。
フリッツ・ラングの影に憧れを抱いていた黒沢清は、ある時期
から、いったんそれを忘れることにしたという。無理だから、
というのがとりあえずの理由だが、過去の巨匠をふりきってな
んとか自分の道を踏み出そうという意志があったのかもしれな
い。
ラングを捨てたはずの黒沢氏は、その後、ラングの影と再会を
果たす。偶然に。『カリスマ』や『ドッペルゲンガー』で撮影
に使ったデジタルビデオカメラが仲人となった。「照明さんが、
ビデオで撮ると影は意外に黒くなるんですなんていうんで、
やってみたんです。結局、思いがけない形でラングをやってた
んですよ」。100mを8秒で走ることの「不可能」と「完璧
な映像」を撮ることの「不可能」を同列に認識してるかのよう
に語る黒沢氏の映画制作にまつわるエピソードはリアルである。
現場が強調される一方で、デジタルビデオカメラによるラング
の影の実現は、現場ならではの制作秘話的な「偶然」とは分け
て見なすべきかもしれない。デジタル技術が真っ黒い影を可能
した必然と言ってもよいのだから。
トーク前に上映されたラングの幻の遺作『マブゼ博士の千の眼』
は犯罪物の作品なので、そこに関連して、自身の映画での警
察の扱い方に黒沢清は触れた。
「警察っていうのは、ぼくの場合、一枚岩ですね。一口に警察
っていっても、悪いのもいたり、裏をかいたりとあるんですけ
ども、それはぼくはできないんですよ。警察は絶対なんで、悪
いことをすれば、まず警察が飛んでくると。ぼくの映画でも、
警察はよく出てきます。
それで、ぼくはふだんはまあ善良な市民として暮らしています
けれど、映画の中くらいは悪いことをしたい。悪いことをするに
は、ぼくの場合はふたつしか方法がないんです。どうするかと
いうと、ひとつはまず警察を出さない。警察の存在しない世界
を作る、ファンタジーにしちゃうってことですね。これが
ドッペルゲンガー』なんですけれども。もうひとつは主人公
が警察ってやつですね。自分が警察だから、悪いことをしても
飛んでくるのは自分ですから。これが『CURE』だったわけ
です。」
今年の10月に新作の撮影を終えたそうである。
「ホラーですか?」
との司会者の質問に
「うーん・・・まあ軽いホラーで、悲恋もの、かな、警察も出
てきます。映画はほとんどできていて、あと題名だけ残ってる
んです。画面が題名のとこだけ、こう、あいたままになってて
・・・」
黒沢清は最後まで現場の人であった。