禁制論
- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日: 1982/01/16
- メディア: 文庫
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いつ作ったのか、もう忘れました。
「禁制論」
・最初に解析した人はフロイト。
・怖れの対象であり、願望の対象でもある両価性。
・前者は心の前景に後者は心の奥に。
・未開の種族の禁制(敵、族長、死者、婚姻)。
・未開の心性と神経症患者には共通点があるはずだ。
・フロイトは心の世界が過去から層状に積みあがったものと見なす。
・こう考えれば、人間の「生涯」を人類全体の「歴史」と重ね合わせることができる。
・近親相姦に対する性的な禁制=対幻想
・王や族長に対する制度的な禁制=共同幻想
・フロイトは近親相姦を禁ずるのは、男たちが女をひとり占めしようとして互いに争い、共同生活が不可能になるためと考えた。(「トーテムとタブー」)
・フロイトは人間の性的な心の劇としての近親相姦の禁止を母系制度の出現の萌芽だと考えるがこれには飛躍があると吉本は考える。
・フロイトは性をまったく個人的、生理的なものと見なすが、吉本はそれは個人と個人とが出会う世界に属する「対幻想」だと考える。
・フロイトのいう「リビドー」はあるときは個人の性的な心の世界、あるときは性的な経験、あるときは性的な行為がもたらす結果で無造作に混同されている。
・しかしこれらは「リビドー」としてひとくくりできるものではない。個人の経験の世界と共同的な制度の世界との間には大きな開きがあるのだ(まったく別物)。
・王と大衆の間になぜ官僚があるのか。
王もやはり両価的な対象である。
フロイト:王のタブーを和らげるために官僚がある。フロイトは心理的(自己幻想)な理由で官僚が作られたと考える。
吉本:制度は共同幻想であり、これは心理=自己幻想とは異なった次元に属するものである。自己幻想が生むのは王に対する崇拝や無関心といった意識だけで「制度」は生まない。
フロイトは人間の観念の作り出した世界はどんなものでも心理的なかんぐりで解釈できるはずだという前提のもと、日本の古代王権を分析している。
→吉本は心理的(自己幻想)なかんぐりでは導き出せない観念の領域(対幻想、共同幻想)があると考えている。
禁制にも自己幻想、対幻想、共同幻想を対象とする異なった世界が存在する。このような区分は未開の段階でははっきりとできず錯綜していたと思われる。
資料:『遠野物語』