シュルレアリスムとは何か

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)

好きな音楽を聴いていい気持ちになったり、衝撃的な映画を見て、しばしその世界に捉えられたりといったことを誰もが経験します。ところが、ひとたびイヤホンを外せばアスファルトを掻きむしる車輪の轟音が耳をつんざき、映画館の一歩おもてに身をおけば、中身のない立ち話に耽る群衆がひしめいています。「現実」とはこのイヤホンのない、音楽の流れていない状態を指すとされ、白昼の映画館で体験する暗闇を「現実」から切り離して、矮小化します。シュルレアリスムは、これと逆に現実の領域を拡大しようとしました。

運動としてのシュルレアリスムは、ある面では政治的なものでもありました。ブルトンのいいかたでは「現実は僅少である」(『現実僅少論序説』)わけだから、現実そのものを充実したもの、強度のもの、過剰なものにするために、ただ「超現実」を夢みていい気持になるというのではなくて、「超現実」の思想にもとづいて現実を人間に奪いかえさなければならないと考える。(P98)

シュルレアリスム宣言』の結語は「生は別のところにある」ですけれども、その「別のところ」がけっして特権的な別世界でも逃避可能なフェアリーランドでもなく、いわんや保護されたユートピアなどではなく、まさにこの現実と連続しているということを主張していたのが、一九二〇年代のシュルレアリスムだったんですね。(P178)