いびき

先ほどから、私の左わきで中年男が風船玉のようにふくれた腹を
台座にして、組んだ腕を据え、たわんだくちびるをぶらさげて、
大いびきをかいて眠っている。うるさくて本が読めない。
「あ〜うるせ〜」
飛行機のエンジン音にまぎれて、つい声を漏らしてしまった。
むろん、これで騒音が止むはずもなく、あいかわらず
グゴーグゴーグゴー・・・(ピタッ)・・・・グゴオオオオオオ!
と、前衛的な不協和音を轟かせている。
そして、どうか教えてほしい。
なぜ機内食が回ってくると、自然に目を覚ますのですか?
「松茸ごはんかシーフードカレーか」とスチュワーデスに尋ねられて、
どうしていちいち実物を見せてもらわないと決められないのですか?
どうして野菜を全部残すのですか。だから太るんだよ。
赤ワインをがぶ飲みして怒りを静める以外に、私に方途は
ないのでしょうか。
やがてスチュワーデスが食器の回収にやってくる。
食器をさげてもらい、テーブルを元の位置へ戻す。
食事が終わった。
食事のあと、人はどうなる。
眠たくなるのだ。
思ったとおり、5分もたたぬうちに、こっくりこっくり始まった。
だが、今の私はさっきまでとは違う。
ワインのがぶ飲みにとどまらず、食後にしっかりコーヒーまで
いただいたのは、酔いたかったからでも、眠たかったからでも
ない。これも先を見越しての対策なのだ。頭を使わなきゃ。
風船腹の座席は通路側。私は窓側。
もしこれが逆だったら、作戦は通じなかった。
不幸中の幸いとは、差し引きして大概幸いに転じるものだ。
グゴ・・・グゴゴ・・・。
今だ。
「すいません、ちょっとトイレに」
そう言って、肩をこづくと、風船腹は慌てて飛び起き、
トイレに向かう私のために席を立つはめに。
ふっふっふっ。知性の勝利。
用を足して戻ってくると、すでに寝入っていた。
5分たってないのに。
さて、起こしたろ。そう思って肩に指を触れた瞬間、
パチン!
「うわっ!」
ネズミ色のよれよれポロシャツが発電した。
ふとっちょって電荷も高いんだ。
白旗をふって、iPodのイヤホンを耳につっこみました。