デリダの死

学部時代、「基礎物理実験」という授業が必修であった。
物理にかぎらず、実験というやつは「待ち時間」が実に多い。
待ち時間中はデータの処理をしたり、次の作業の準備をしたり、
教科書に目を通して、今やってることがなんなのか(分かって
ないことが少なくない)を把握することに努めたりと、それな
りにやることはあるものだが、その日の実験はただひたすら暇
であった(内容は忘れた)。
三人一組のグループだったのだけれども、うち一人が器具の脇
のイスに座り、真っ白くて分厚い本を読んでいたので、暇をも
て余していた私は「なに読んでんの?」と興味本位で尋ねた。
デリダを知ったのは、このときである。

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

本はもともと好きだったとはいえ、当時はデリダはおろか、哲
学と宗教の区別すらつかなかったので、そこでパラパラとめく
った『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』の「ワ
カラナサ」には仰天した。しかも読んでいたのが、いかにも頭
のよさそうな奴ではなくて(失礼)、私の出身大学にはたまに
いるタイプの挙動不審な正体不明君だったものだから、余計に
その本が気になった。
とはいっても、そのときは本を借りることもなく、しばらくは
忘れたいた。その後、東浩紀や『存在論的〜』がほうぼうで話
題になっていることを雑誌などを通して知りはじめた。
何かの賞の選評で筒井康隆が同書をベタ誉めする一方、石原
慎太郎が「難しい論文」と切り捨てていたりと、評価がまちま
ちで物議を醸しているようであり、物議に弱い私はそこらあた
りから惹かれはじめたのだと思う。
そのジャック・デリダが死んだ。
追悼のふりをして、思い出深い東のデリダ論の冒頭を、寝しな
に読んでみた。だが、2、3頁進んだところで、詰まってしま
った。デリダジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェ
イク』に書かれた「he war」なる文章のエクリチュールとして
の二重所属に着目する。ドイツ語だと「彼は存在した」、英語
だと「彼は戦争する」という意味になる。このあと著者は、he
warは「事実上」無限の意味をもつ、すなわち「彼は存在した、
彼は戦争する、・・・」と続けるのだが、この「・・・」には
何が入る?わからない。he warという綴りに意味がある言語体
系が無限に存在しうると言いたい?デリダ本人には、もう聞け
ない。誰か教えて!
と、人に頼るのもよくないと思ってちょびっと調べたら、こう
いうページを見つけた。
http://homepage2.nifty.com/Workshop-Alice/fushigi/duchess.html
まだ読んでませんが。